見立てる作法

令和4年4月某日

今日は大変気持ちの良い気候。昨日の夕間暮れ、運転中の車窓から見掛けた、犬を連れ浜辺を散歩中のご老人。BBキャップに、コットンセーターから襟を出す。合わせるイージーなショートパンツ。すごくローカルでエイジレスでありながら気候にすぐさま合わせようとする、気概のようなものに刺激を受ける。すぐさま、まんま取り入れた今日。気候と同じく気持ちも良くなる。

見立てである。ものの用途に従うか、抗うか。用を用と思わず、その美を主題に新たな役目をあてがう。利休居士の昔から、ものを愛でる者たちは見立てを楽しんできた。古いもの今のものに関わらずだ。編組品を作らせ花生けとして楽しむのもその時代からだ。

飾り棚を2つ続ける。これは共に蒸籠として生まれたもの。何百回と饅頭をむし、強飯をふかしてきた。お陰でこのような実用品だけが得られる美を授かることが出来た。その熟れた様を拝借し棚に仕立ててみよう。1つ目のものは小ぶりな蒸籠にそのまま黒牟田の徳利を入れた。大ぶりなもう1つは仕切りを自作し9つに分けてみる。

額縁かのよう、ものが活き活きと映える。1枚目の徳利は中心過ぎたか。どちらかに少し寄せればよかった。2枚目のような棚にそば猪口だけ絵変わりで、飾っているのを見たことがあるかも知れないが様々素材、形を変える方が好みだ。冷や用、燗用、注ぐものと座右においたらさぞ嬉しく呑めるのではないか。

次は下戸の仕業と留意して見てほしいが、酒宴の設えを考えてみた。徳利は明治〜大正頃の汎用瓶。スタイリッシュで美しい形だ。盃にメキシコの線巻ガラス鉢。乾き物受けに益子の飯碗の蓋、朝鮮の轆轤祭器には塩辛なんてよく似合う。

牛乳なのか日本酒なのか、汎用瓶は手にした時、震えて喜んだ。と同時に徳利として使う絵がすぐさま浮かんだ。頸の長さからか重心が程良く、実際の重さより手取り軽く注ぎやすい。ニュートラル過ぎて、柳は選ばないであろう品。民藝とはまた違う、今の時代なりの見方が出来るものと思う。

お厨子の前に置いた木の品は、何某かの重しと聞く。金柑を載せ鏡餅の代用にどうだろう。大黒さんは餅モドキに少しがっかりするかもしれないがよく似合う。下に敷いたのは籠目と直線の菓子型。籠目には魔除けの意があるので大黒さんも安心だ。

最後にアフガニスタンのグラスに野の花を指す。台にしているのは琉球赤瓦。

普段見ることの無い瓦の内側は花器を立てるのに収まりの良い形をしている。荒焼だったり八重山だったり。古来沖縄の、荒々しいものものを継いだものがここにある。柱に吊るし、燭台を飾っても良いな。

見立ての作法。堅苦しいタイトルだがなんて事は無い。組み合わせを想像し楽しもうという事だ。先ずは、ただただものの美しさに喜ぶ。次いで使って喜ぶ。更にもの達の意外だったりそのままだったりの、組み合わせでも喜ぶ。昨夕のご老人に刺激を受け、喜んだように。洋服だって買っただけで満足、そんなことはないでしょ?